「日本的スポーツ環境批判」中村 敏雄
2012年1月25日
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学長補佐 山本秀人
日本的スポーツ環境批判 中村 敏雄大修館書店 1995-01 Amazonで詳しく見る |
なでしこジャパンが女子サッカーワールドカップで優勝したあと、今まで見向きもしなかった人たちがカメラ片手になでしこリーグの会場に押し寄せています。観客動員数は、昨年とは比較にならないほど伸びています。さらに、なでしこリーグのオフィシャルスポンサーに、あのトヨタがつきました。このような現象については、「スポーツとテレビ」「スポーツと経済」という視点で分析すると非常におもしろいと思います。
今でこそ、「スポーツとテレビ」「スポーツと経済」というように、スポーツの現状を多様な環境との関連で分析することは当たり前の視点になっていますが、その先駆けとなったのがこの「日本的スポーツ環境批判」といえます。
この本と出合ったのは、出版されてすぐでしたが、今でも十分に新しい指摘を紹介します。「スポーツ環境のなかでもとくにテレビがいまわれわれのスポーツの見方、行い方、考え方に与えている影響はきわめて大きく、スポーツやレジャーの普及・啓蒙からショー化、スキャンダルなどに至る多様な情報を広く国民に提供している。…(中略)…『ただでは走らない』と広言するランナーを生んでスポーツと『カネ』の密着度を高めた責任もまたテレビにある」(43-44頁)というものです。この「ただでは走らない」と広言したのは、数回のオリンピック出場で9個の金メダルを獲得した、あのアメリカの短距離ランナー、カール・ルイス選手です。
まさに、「スポーツとテレビ」「スポーツと経済」なのです。
人間を大切にするしごと-特別支援教育時代の教師・子ども論
2012年1月18日
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副学長 近藤直子
全国障害者問題研究会
① 心に残った理由
その子の気持ちになる~自分の気持ちを表現しにくい、重症心身障害児の教育に長年取り組んできた、兵庫県の特別支援学校教員(当時)三木さんの重症心身障害児、自閉症児との教育実践の集大成です。
特別支援教育が強調されるようになってから、学生たちの関心は、知的障害の無い発達障害に向かっているようで、一貫して知的障害のある子どもと関わってきた私は、少し残念な気持ちになっています。
何もできないように見える「寝たきり」の重症心身障害児の中に秘められた気持ちに共感する教員集団の、子どもを見る目、子どもの気持ちを感じるこころが、一杯ちりばめられている本です。保育士・教師を目指す学生たちには、障害が「重い」と言われる子どもたちの可能性と、可能性を具体化する実践の素晴らしさに触れてほしいと願っています。
② 特に心に残ったところ~希望で導く科学
重症心身障害児の実践において、看護師と教師の子どもの見方の違いに触れて、子どもに期待する教師の思い「私たちの仕事は希望で導く科学なんです」と言い切るところです。
③ 各章に「おまけ」がついています。
おまけは得した気持ちになるから「おまけ」。教師の本音に触れて得した気持ちになれます。重症心身障害児と関わっている教師は、一様に自然の営みや変化を大切にしていますが、三木さんはそれだけでなく、人と人のつながりを大切にしています。
障害が重いと何もできないように見えるけれど、実は人々をつなぐ大きな力をもつ人なのだということを私は思っていますが、三木さんも同じような思いをお持ちだと感じることができます。
ちなみに三木さんは、現在は、定年を前に特別支援学校教員から、鳥取大学の先生に転身され、大学生たちと新たなつながりを築き始めています。
「春を恨んだりはしない-震災をめぐって考えたこと」池澤夏樹
2012年1月11日
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副学長 二木立
東日本大震災と福島第一原発事故直後に感じたことを「薄れさせてはいけないと繰り返し記憶に刷り込む」ために書かれた本です。写真を含めて123頁の薄い本ですが、震災の「全体像」を描こうとする作者の真摯な気持ちがヒシヒシと伝わってきます。数多い類書との違いは、作家としての「感性」と大学で物理学を勉強して身につけた「理性」とが絶妙に融合していることです。この強みは、特に「7 昔、原発というものがあった」で発揮されています。私が一番勉強になったのは、原子力の「平和利用」は「敗北の歴史」だったことです。「最初期にあった『原子力機関車』はプランの段階で消え、『原子力船』はアメリカのサヴァンナ号も日本のむつも実用には至らなかった」(85頁)。
次の2個所は特に心に残りました。「災害が起こって次々に策を講じなければならない時にシニカルな総論を言っても始まらない。我々はみな圏外に立つ評論家ではなく当事者なのだ」(99頁)。「震災と津波はただただ無差別の受難でしかない。その負担をいかに広く薄く公平に分配するか、それを実行するのが生き残った者の責務である。亡くなった人たちを中心に据えて考えれば、我々がたまたま生き残った者でしかないことは明らかだ」(108頁)。私もこの視点から、被災者支援を微力ながら、息長く続けていこうと思いました。