「復活の日」小松左京

2011年2月15日

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教育開発室長 職員 朝川俊二

 
 
今、微熱がある。
こんな状況で、この本について語るのも因果なものである。
突然、正体不明の疾病が大流行。インフルエンザのような発熱症状がつづいた後に、突然心停止して死に至るという病。原因もつかめず、対策も打てないままに人類は滅亡。南極大陸に生存するごくわずかな人々を除いて・・・・。
こんなストーリーのSF小説だが、何せ書かれた年代も古く(1970年代を見ずに人類は滅亡する設定)、既に日本SFの古典といえるかもしれない。その後、パンデミックを扱った小説や映画はいろいろ出ているようだが、SARSだの、新型インフルエンザだの、かなしいかな、現実の状況がSFに追いついてしまっている。今、読み返してみれば、また違った衝撃を受けるかもしれない。
この本については、もう1点書きたいことがある。
それは、私自身がこの本に“感染”してしまったという話。
今を去ること30年、1970年代の終わりころから80年代初めころ、とある出版社が、自社の文庫本を原作とする映画を盆と正月にプロデュースし、文庫本・映画・主演俳優・主題歌を一気に流行らせる商売をしていた。実はこの本も映画化されており、中学1年生の私は、テレビ放映でそれを見た。日本映画なのに、外国人を使いまくるは、南極でロケするは、あげくの果てにチリから本物の潜水艦を借りてくるはと、当時としては破格の映画であったことは確か。そんなことよりも、理屈抜きで印象に残ってしまったのは、いつも見慣れた日本の市街地が、疾病に倒れた髑髏に覆われた廃墟となっているシーン。
要するに、某出版社のメディアミックス戦略にまんまとのせられて“感動”してしまったわけだが、インターネットもレンタルビデオ屋も身近になく、結構不便だった当時のこと、映画の余韻を再現するには原作本を読むしかなかったわけである。ところがこの小松左京、蘊蓄は多い、読めない漢字は山ほどあると、四苦八苦。とりあえず分からないところはすっ飛ばしながら、文庫本を最後まで読みとおす経験を初めてしたのである。作品中に散見される、突き放したような冷めた表現に大人の世界を感じながら、13歳の私は背伸びをしていたのかもしれない。その後、同じ作家の作品に手を出しては、のめり込んでいった。
いわば、この本が、文庫本や新書本といった“大人の読書”の世界につながる道を開いたのである。
この本への“感染”は“出会い”とでもいえようか。その時に私の体にできた“抗体”の恩恵に、いまだあずかっているような気がする。

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