子どもたちが伝えたいこと-年末年始ボラ(「萩の花」)を振り返って

 

 今回の年末年始ボラでは、子どもたちの精神面での変化が表面に出てきていると感じました。

 まず、ある子どもから「どうして大きい地震が来たときにすぐ来てくれなかったの?」という言葉から始まりました。昨年12月の週末ボランティアに出発する12月7日夕方午後5時過ぎ、震度5の大きな余震と津波警報発令のため、急きょボランティアが中止されたことを子どもから改めて問われたのでした。

 その言葉の後に、私たち学生に津波の写真集2冊を持ってきて、自分が住んでいた場所や津波についてのことを話してくれようとしました。その段階で、私たちはその子の発する言葉を受け入れる覚悟ができておらず、地震や津波の話を通して、何か私たちに伝えたい、聞いて欲しいと思ったはずの気持ちを十分受けとめて聞くことができませんでした。

 たぶん、私たち自身の心のどこかで、怖くて逃げてしまったのだと思います。

 私たちに向けられた伝えたいというサインを、私たちの気持ちの準備ができていなかったせいで逃してしまいました。

 話を聞いているようで聞いていない、聞いてはいるが子どもの話してくれようとしたことに向き合うということができなかったと思います。このことで私たちの気持ちの面での準備不足を感じました。

  

 この経験は、これからボランティアに行く学生すべての人に共通する課題だと、あがらいんの長沼さんや橋本さんとお話しをしていて思いました。

 橋本さんが指摘された、「みんな違う場所で、違う形で3.11を経験している。確かに現地の人と同じ経験をしたわけではないから、現地の人から学ぶことは沢山あると思う。でもだからと言って現地の人の気持ちがわからないなどと遠慮することはない。」という言葉が、とても印象に残っています。

 

 ここに私たちの今回の課題の答えがあると思いました。

 

 現地の人が体験したことを直接体験したわけではないが、私たちも3.11を経験した1人であるという気持ちを持っても良いということ。この気持ちを持つことで部外者だという負い目を持たずに、ただ“自分の知り得なかったことを教えてもらうのだという姿勢”で子どもたちとも関わることが大切なのだと知りました。

 私自身、震災について聞くのが怖いと感じていました。それは自分が知らない経験をした子どもや大人の人に自分はどのような立場で聞くべきなのか、悲惨な経験を自分がしていないから共感できない、その人の気持ちに寄り添えた言葉を返せるかなどと考えていたからだと思います。

 現地の大人や友達に話すのではなく、あえて学生の私たちが相手に選ばれた意味を考えつつボランティア活動を通して子どもたちと関わることが必要だと思いました。

 

 子どもたちも、震災から2年がたち、その時間をかけて自分の抱えている思いや背負っているものを言葉で表現し伝えようとする段階まで来ていることが分かります。

 これから学生が子どもたちの言葉としっかり向き合えるように気持ちの準備をすることが、今後のボランティアを引き継いでいくうえで必要なことだと思いました。(リーダー・休場)