2013夏・萩の花プロジェクト報告(2)

8月10日(土)午後、特養うらやすを離れ、次に石巻市の開成団地にある「あがらいん」という施設に向かいました。
ここは、「特養うらやす」「避難所」「仙台・石巻の仮設住宅等」に引き続く災害ボランティアセンター「萩の花プロジェクト」の拠点として、2012年春の第3次プロジェクト以降に使わせていただいているとても大切な場所です。
「あがらいん」での私たちの取り組みは、子どもたちのストレスを軽減する、復興や将来への希望を持って成長するサポートをする、開成団地の高齢者の方々のコミュニティ形成のきっかけの場を提供するという目的のもと、子どもたち向けには寺子屋や学生が企画したイベントなど、高齢者の方々向けには食事会、キッチンカー、足湯などさまざまな活動をさせていただいてきました。
到着後まずそこで、震災当時、現地の蛇田中学校で校長先生をされていた森先生という方から「3月11日それから」というテーマでお話をしていただきました。
 
 
 
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森先生とは、これまで多くのプロジェクト参加学生を現地の視察にバスで連れて行ってくださり、貴重なお話をしていただいた、とてもつながりの深い方です。
お話のなかで印象的だったことが2つあります。
1つめは森先生の「私も被災者」という言葉です。震災当時、教職員としての立場とひとりの人間としての立場のなかで、家族の安否など自分の不安と、仕事としてやらなければならないこととの狭間で、とてもギリギリの状態で大きな葛藤があったそうです。教職員のそういう気持ちがわかるからこそ、森校長は学校としてやらなければならないことに追われるなか、職員でまだ家族の無事が分かっていない人にはそれを優先させたそうです。「仕事より家族の安否を優先していいのではないか」という言葉で、僕は今まであまり目を向けることのなかった、震災時の学校の教職員や行政の方々の苦悩と葛藤を知りました。
もうひとつは震災が起きたときにこそ、いかに「コミュニティ」の力が重要であるのかということです。地域のコミュニティがなければ、被災者は孤立して落ち込んでしまう。しかしコミュニティがあればそこに自然に人があつまる。地域のイベントの延長線上で自然とリーダーが出てくる。そしてそれは行政のコントロールしやすさにもつながってくる。つまりコミュニティの力は復興の力になる。自分の生まれ育った場所を思い浮かべながら、自分の周りには家族以外にいざという時に助けあえる人はほとんどいないということを考えながら聞いていました。なかなか難しいことかもしれませんが、一歩踏み出して地域の方々と関わってみることが、いずれ震災が起きたとき、命が助かるか助からないかということにつながってしまうこともあるのではないかと感じました。
今回のお話では被災者の「心」に関するお話を多く聞き、今後我々ボランティアはより被災者の「心」に寄り添うアプローチが求められると感じました。
こういった今回のお話で学んだことを次の萩の花プロジェクトにつなげていきたいと思います。
 
森先生の講話の後、あがらいんでの夏祭りに参加し、バーベキューのお手伝いをしました。
 
 
 
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翌8月11日(日)朝のラジオ体操をした後、2013夏・萩の花プロジェクト全日程を終了し帰途につきました。

2013夏・萩の花プロジェクト報告(1)

2013年8月9日午後7:00頃、日本福祉大学災害ボランティアセンター(以下、災害VC)の一行は、無事に宮城県名取市の「特養うらやす」に到着しました。「 うらやす」は2年3ヶ月前、災害VCが初めて被災地入りし「大切なもの探し」の活動を行わせていただいた施設です。 今回、高台移転・再建し、リニューアルオープンすることになり、OB・OGを含む災害VCのメンバーを、佐々木施設長から新しい施設に招待していただきました。

建物の内外を案内していただき、工夫が凝らされ た新施設をみて、福祉を学ぶ学生たちは、驚きと 感動の連続でした。 また、今回初めて、新しい大浴場を使わせていた だくこともできました。 調理室で調理した豪華な夕食をいただき、みんな で当時を振り返りながら一夜を過ごしました。翌朝はベッド搬入のボランティアをさせていただ き、その後旧うらやすの建物も伺うことが出来ま した。 今回参加した19名のメンバーは、8名が当時現地で活動したメンバー、11名は今回はじめてう らやすに来たメンバーでした。
私自身は2年3ヶ月前に現地で活動しています。 当時2年生だった私は「大切なものさがし」に参加しながら、自分たちの活動の意義について悩ん でいたことを思い出しました。出口の光の見えな い暗闇の中で、自分の無力さを感じながらもがいていました。今考えると、「大切なもの探し」に よって救われた人たちがいたこと、私自身がとても貴重な体験を出来たことを実感できます。施設長の佐々木さんから、「福祉大の学生の活動が あって今のうらやすがある」といわれた時には、本当に泣きそうになりました。

旧うらやすが壊さ れず残っていることも、私にとっては感慨深いも のがありました。いつかは壊さなければならないのですが、今でもここで亡くなられた方の遺族が 訪問されていることを気にかけて、なかなか壊せずにいると聞き、うらやすとの巡り合わせに特別 なものを感じました。旧うらやす内は、日に日に廃れていっています。私自身は昨年6月にも原田先生、山本事務局長とここを訪れていますが、住 宅地だった周りの建物はほとんど撤去され、草原 の中にぽつんとうらやすが残っている形です。何 も遮るものがなく海から吹き抜ける風が、寂しさ を身に沁みさせました。

8月10日(土)午前中はベッドの搬入をさせていただき、35℃ をこえる暑さの中、メンバーは汗だくになりなが ら、作業に勤しみました。作業をしながら、私は2年3ヶ月前の活動が、すでに再建に向けての活動の一環であったことに気付きました。もちろん、その間にうらやすの職員の方々の壮絶な苦労 があって今に至るのですが、その一助になれたこ とにひたすら嬉しさを感じました。他のメンバー も、それぞれに感じるところがあったと思いま す。大学に帰ってから、そのことをみんなで話し合い、今回現地に行くことの出来なかったメン バーたちにも伝えていきたいと思います。